烏山周辺の各水路の概要
区立図書館にある郷土資料などによると烏山地域には少なくとも12の水路がありました
現在では詳しい知識なしでその痕跡をたどれるものはそれほど多くありません
取りあえずある程度古い地図から烏山地域の天然河川/用水路をプロットしてみました
まずこれから御覧になって、烏山地域の水路の多さを実感して下さいませ

烏山地域の水路図
今回、史料として郷土資料にある烏山の用水路解説箇所を参考にしております
また独自にそれ以外のものも加えてあります
水路の名称は私が独断で命名したものも含まれることをあらかじめお断りしておきます
烏山周辺の各水路写真に進む前に…
各水路の現況を紹介しています
三鷹市/杉並区など世田谷区外にある地域から
環八千歳台あたりまでを紹介範囲としています
撮影時期はばらばらになっております
写真は縦/横どちらかが800ピクセル(それより大きいものもあります)です
一度に展開するのは原則5枚で、構成上増減することがあります
画像が大きいために読込に時間が掛かりますが御諒承ください
(1)…古烏山川/門九郎掘
◆地元にもともとあった自然河川です
水源は寺町の高源院の池となっていますが、寺が浅草から移ってくる以前は田畑の中の湧水池でした
「亀の子出井」と通称されていたようです
ここから東進・南下して現在の環八を過ぎて水無川などと合流し
目黒で北沢川(北沢用水)と合流して「目黒川」になる源流のひとつです
当時の貴重な生活用水の一つでした
古い地図によると玉川上水からの引水を古烏山川もしていたようです
玉川上水からの分水路は現在の久我山病院の敷地を南下し
団地脇をカーブして松葉通りを越し、小さな水路を合流して
高源院方向に西進して烏山用水と合流する水路が現存しています
高源院からの水路は途中で二手に分かれますが、
北方の流れが玉川上水烏山分水と連絡しているものです
高源院池の北側に更に西に延びる暗渠もあり、
このあたりに複数の水源があったことをうかがわせています
古烏山川は烏山団地内を東進して別な玉川上水の分水路と合流して南下します
団地内を曲折しながら南下したあと、バイパスを越して松葉水路と西之谷水路と合流します
合流後は旧道烏山ホテル脇を南下して京王線を越します
さらに芦花公園団地内を南下して芦花中学のところで烏山用水と合流し、
環八にそって南下し、千歳温水プール付近で水無川とも合流して烏山川となります
古烏山川の流路跡写真集に進む…ページ後半が制作中…前半は閲覧可能です
写真は横800ピクセルと大きくなっています
(2)…牟礼村分水排水路
◆(1)の古烏山川の主な水源は高源院ですが、地図では上流にも水路が延びています
三鷹市牟礼の町内を西進していたようです
郷土史料によると「品川用水」開削により下本宿で「牟礼村分水」が分断され中川(水無川)に流れなくなり
玉川上水から分水した牟礼村分水の余水排水路を東に開削したという記述があります
その後品川用水の暗渠化で牟礼村分水と水無川とはふたたびつながりましたが、排水路が開渠で現存している場所があります
写真は流端から高源院水路との合流部分まで紹介しています
牟礼排水路の水路跡写真集に進む…準備中
写真は横800ピクセルと大きくなっています
(3)…新烏山川/烏山用水
◆
烏山用水は人工河川ではありますが、その名の通り用水を目的とした川と言えます
水源は玉川上水からの分水になります
久我山の岩崎橋下流の分水口から引水し(1)の古烏山川の水不足を補ったものです
大正以前はもっと下流に分水口があったようですが
現在痕跡が判明するのはこの最後の分水口からの流路になります
その流路は時期によりいろいろあるようです
痕跡としては分水は下本宿通りで東進していますが、
そのまま一部が現久我山病院敷地内を南下して古烏山川へ連絡していました
また下本宿通りで二つの南下分水跡があります
手前が北烏山2-3先で開渠の水路で団地内を開渠で痕跡が残り、
新宿寄りが北烏山2-2の北端で痕跡なしの分水路になります
ただ、古い地図によると烏山北団地ができる前までは
古烏山川と烏山用水は互いに連絡する水路を多数持ち
この地の田畑への灌漑用水として重要な役割を担ってきました
烏山分水は団地内西部を曲折南下して同様にバイパスを越し、
豊倉屋分水との分岐点を経て旧道に出ます
さらに南下して鉤型に曲がって芦花公園駅構内をくぐり、団地内を南下します
ウテナ付近を南下し中堀に分水したあと芦花中学のところで古烏山川と合流します
★烏山分水はさらに東進して東南に曲がっていきます
この下流は芦花公園駅北で甲州街道と環八を斜めに横切り、
環八にそって南下して古烏山川に合流しています…南原用水の項参照
烏山用水の水路跡写真集に進む…工事中
写真は横800ピクセルと大きくなっています
(4)…水無川/通称烏山川
◆水源は玉川上水分水の「牟礼村分水」の余水/排水とされていますが
それ以外にも北烏山一帯の低地の湧水などが集まって出来た自然河川です
牟礼村分水の排水路に格好の流路なので上流を伸ばして接続した可能性があります
江戸時代以降、品川用水で牟礼村分水と流れが分断されました
そのために渇水時には流れが消え水が無くなるのでこの名前になりました
牟礼村分水のうち水無川に連絡する流れを「中の川」(中川)と呼んでいて遊歩道の名称にもなっています
烏山というよりは、給田、上祖師谷、粕谷(旧廻沢)の灌漑用水として重要な用水だったようです
現在ではこの中川部分まで含めて通称「烏山川」と呼ばれています
粕谷のガスタンク南を通り環八を越えて数本の流れと合流して烏山川となります
水無川の水路跡写真集はこちらのページをごらんください…工事中
写真は横800ピクセルと大きくなっています
(5)…南原用水/平太夫掘
◆上記説明の玉川上水の烏山分水の3つ目の引水がこの「南原用水」です
江戸時代に、志村平太夫が烏山分水を引水して八幡山付近まで持ってきました
この用水を「平太夫掘」といいます
途中にいくつかの合流水路があります
また杉並区内に池があり地域の水源だったと地元の農家の方に伺いました
北烏山地区は暗渠が大半ですが京王線跨線橋下から公園に沿って開渠水路が始まり
都営八幡山団地の東側を開渠のままで続いています
団地が終わるところで西に向きを変え環八の烏山川開渠にぶつかります
ただし水路としては合流せず暗渠でつながっているようです
環八が出来る前はこの地域はかなり網の目のように水路が入り組んでいたようですが
現在の水路が最終的な流路となっています
南原用水の水路跡写真集に進む…準備中
写真は横800ピクセルと大きくなっています
(6)…品川用水
◆江戸時代に玉川上水から分水され品川区まで掘られた人工の水路です
三鷹市内での痕跡は少なくなり、さくら通りと堀合という地名に痕跡が残るだけです
下本宿通りには水車もあったようです(新川の水車)
流路は下本宿通り沿いにあり、北野と牟礼の境で右に折れ、また左折し東進します
現在の烏山通りに出て右折してそのまま南下します
烏山通りの片側に歩道が続いていますがその下が暗渠になっています
バイパスを越してすぐ左折/右折と鉤型に曲がって都営団地脇を南下します
旧道のバス発着場のところに出て、西友の前を南下し、京王線ホームに突き当たります
そのまま暗渠で進みパチンコ店のところで左折します
千歳船橋行きバス通りを芦花公園方向に進み、庚申塚あたりで水無川を樋で越していました
「築樋橋」という名前の地名が残っています
農協や青山学院大学の前をとおり、塚戸十字路で左折し環八を越します
小田急の線路をくぐり千歳通りを進み、馬事公苑脇を通っていきます
品川用水の水路跡の写真集に進む…工事中
写真は横800ピクセルと大きくなっています
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(7)…西之谷出井水路/出井天然水
◆この水路は寺町の南端にある乗満寺の墓地脇が「現在」の流端です
これより北に進み西進する、寺町広竜寺西南あたりに「出井」があったと郷土資料にあります
古くはこのあたりの湧水や灌漑水の排水が基になっているようです
古い地図には北烏山7-8の道路角あたりの敷地内に池があります
現在の流端よりもさらに北に延びていたことが分かります
下流では「お染出井」という烏山北小学校西側にあった湧水も合流しています
合流後烏山中学の北を進み松葉通りを越して西進します
烏山川がバイパスを越して南下したところで合流します
西之谷水路の水路跡写真集に進む…工事中
写真は横800ピクセルと大きくなっています
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(8)…西沢水路
◆私の独自名称です
現在の西沢つつじ園北端あたりの湧水などを水源にして始まる支流です
現在のつつじ園内には水路痕跡は有りませんが、下流方向に住宅の間を暗渠がくねくねと続きます
途中に金網があり通りぬけは出来ませんでしたが、
他の地域では遊歩道として整備されています
西之谷保育園脇から暗渠遊歩道に入れますが、以前は金網で仕切られていました
その下流は現在も金網で水路跡は歩けません
下流はバイパスに沿って進みバイパスの歩道橋下で西之谷水路に合流します
西沢水路の水路跡写真集に進む
写真は横800ピクセルと大きくなっています
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(9)…旧道北上水路/松葉水路
◆こちらも私の命名水路です
郷土資料によると、かつては旧道をも越し、京王線の線路も越して流れていたようです
流路の延長方向は下田病院から線路を越して都営団地あたりに該当します
駅南の低地の湧水や余水などの汚排水は、直近の品川用水が「飲用水路」なので合流させるわけには行かず
わざわざ北の方向に水路を作って排水していたようです
旧道の現ひふみ券事務局脇から暗渠フタが残り、一度家の敷地内で途切れますが
松葉通りから合流地点までは立ち入り禁止の暗渠として残っていました
この水路跡の写真集に進む
写真は横800ピクセルと大きくなっています
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(10)…下宿の水車用用水路
◆南原用水が北烏山1-23角で二手に分かれています
東進して八幡山方向へ行き、南下していく水路が水車用水路です
現在の南烏山3-23あたりから3-5あたりに抜けていたようです
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(11)…豊倉屋引水
◆引用地図の右下にバイパスで消えている北上水路がありますが
南烏山3-15あたりで分岐していたようです
現在の南烏山3-17/19の境の路地がその暗渠のように見えます
路地はいかにも暗渠という感じで進み行き止まりになっていました
この水路跡の写真ページに進む
写真は横800ピクセルと大きくなっています
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(12)…上町出井向地湧水
◆昭和40年代で上町地域つまり烏山西部で名称の無い天然河川はここだけでした
この水路だけ手付かずで残っていました
春はつくしや芹が取れ、夏は菖蒲が咲き、カエルがうるさく鳴いたものです
★かつての流端は北烏山8-20の日本女子体育大学東側と
烏山通りの間を東西に走る水路がT字に分岐して南下していました
しかし東西部分の水路は現在では無くなっていて畑の中に南下水路が突然現れます
それが現在の流端で、水路は中央高速下をくぐって旧烏山工業高校の東脇を南下し
旧烏山自動車教習所の東脇からほぼ水無川に並行し、
さらに南下して北烏山9-11先で水無川に合流します
現在は暗渠で道路となっていますが、流端の一部は痕跡を残しています
上町出井向地湧水水路の痕跡写真ページに進む
写真は横800ピクセルと大きくなっています
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(13)…中堀/新烏山川と古烏山川の排水調整用水路
◆芦花公園団地南のウテナのところで二つの水路に連絡する水路があります
古烏山川と烏山用水は芦花中学のところで合流しているのですが
その前に一回水路が連絡しているのです
南烏山2-8の北の水路がそれに当たります
通称を「中堀」と呼んだそうです
中堀の水路跡の写真ページに進む
写真は横800ピクセルと大きくなっています
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(14)…給田・祖師谷排水路
こちらも私が独自に命名しました
◆給田の西端から上祖師谷にかけて、仙川に沿って並行する水路が両側に存在しています
調べたところ、暗渠と開渠で水路跡が明確に残っている場所がありました
一部では水路跡がはっきりしない所もありました
最下流の上祖師谷排水路は仙川に流れこむところが明確になっていました
この水路は、仙川に直接雨水などを流しこまずに緩衝させる排水路のようです
仙川は北から南に流れていますが、排水路には北行するものがあります
川床が低いために上流に排水できるようです
地域の水源でもあった「つりがね池」からの北上排水もこの水路に合流しています
給田・祖師谷水路の痕跡写真ページに進む
写真は横800ピクセルと大きくなっています
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2002/09/11修正しました